オペレッタとオペラ

オペレッタとオペラはどう違うのか。実際に耳にする説明を挙げてみよう。

①オペラは音楽と歌だけでストーリーが進行するが、オペレッタは台詞の部分と音楽の部分とがある。

 オペラにも台詞のあるものはたくさん存在する。『魔笛』や『魔弾の射手』、『フィデリオ』といった有名な作品から、ロルツィングのオペラまでドイツ語圏の作品を中心に枚挙に暇がない。オペレッタとオペラを線引きする基準としては必ずしも適当ではない。

②オペレッタは踊りのシーンがオペラよりも重要な位置を占めている。

 確かにオペレッタにおいて踊りは重要であるし、モダンなダンスなども次第に音楽に取り入れられていく。ソリストが踊りながら歌うことを要求される場合があるのは、オペラと違うオペレッタの特徴といえるかもしれない。しかし、フランスのグランド・オペラなどでもバレエシーン、ダンスシーンは不可欠なものであった。また、踊りがストーリーと密接に結びついて演劇的な必然性を獲得するにはミュージカルを待たなければならない。逆に、オッフェンバックのオペレッタなどでは必ずしも踊りが重要な役割を担ってはいない。

③オペラは悲劇が多いが、オペレッタはハッピーエンドである。

 オペレッタの場合、圧倒的にハッピーエンドの喜劇が多いことは確かだが、レハールの『ロシア皇太子』や『微笑みの国』のようなアンハッピーエンドの作品もある。逆にオペラの場合、喜劇的な内容の作品やハッピーエンドな作品は、悲劇的なそれと同じだけ存在する。喜劇か悲劇かという単純な図式をオペレッタとオペラに当てはめることは、誤解を招きかねない。

④「オペラ」と表記があればオペラであり、「オペレッタ」と表記があればオペレッタである。

 割り切った考え方のようだが、実際にはそう簡単ではない。『ドン・ジョヴァンニ』は「ドラマ・ジョコーソ」であり、『魔笛』は「ジングシュピール」であり、『パルジファル』は「舞台聖祝劇」である。逆にオペレッタでは、オペレッタの始まりとされる『二人の盲人』は「音楽喜劇」であり、『地獄のオルフェ』は「オペラ・ブッファ」(改訂版は「幻想オペラ」)であり、『ジプシー男爵』は「コミッシェ・オーパー」だ。また、プッチーニの「オペレッタ」『ロンディーヌ(つばめ)』は今日オペラとして認識されているし、逆にレハールの「オペラ」『ジュディッタ』はウィーン国立歌劇場で初演されたにもかかわらずオペレッタとして扱われている。楽譜に書かれている表記ではジャンルわけの根拠にはなりにくい。

 オペレッタは辞書的に簡単に定義することが難しく、その内容(またはスタイルと言ってもいい)と、歴史的・地理的な側面との両方から捉える必要がある。また、オペラというジャンル自体、様々スタイルの作品を内包しているので、比較する対象として分かりにくい。「オペラ・セーリア」「オペラ・ブッファ」「オペラ・コミーク」「ジングシュピール」「ムジークドラマ」などの作品群を、便宜上「オペラ」というジャンルでひと括りにしているに過ぎない。

 明確な線引きにはならないかもしれないが、「オペレッタはオペラに比べてエンターテイメント性が強い」というのはひとつの大きな特徴として挙げてよいのではないだろうか。オペレッタは音楽よりも演劇の比重が大きいとよく言われるが、それもこのエンターテイメント志向のひとつの表れである。もちろん、オペラにエンターテイメント性が無いというわけではなく、あくまで比較の問題だ。このエンターテイメント志向を、表現の手段を幅広く増やすことで推進し続けたのがミュージカルであるとも言える。

 オペレッタがオペラに比べてエンターテイメント性を重視するのは、その成立した環境によるところが大きい。オペラは貴族のサロンで生まれ、ヨーロッパ文化の一つの象徴として発展して来たのに対し、オペレッタは大衆の求める新しい娯楽として生まれたものであった。現代でいう、カルチャーに対するサブカルチャーと言ってもいいかも知れない。オペレッタの生まれた第二帝政期のパリについて、東京大学名誉教授の蓮實重彦氏は次のように語っている。

「第二帝政」は、いわば人類がサブカルチャー的な作品のときならぬ隆盛に立ち会った最初の時代だといえます。(中略)それは、二十世紀における文化産業の高度な文化と大衆的な文化との分割というべきものの起源だといえるかもしれません。(『文学界』2005年8月号「喜歌劇とクーデタ」より引用)

 このようにオペレッタには、オペラとの本質的な違いがその成立過程から存在した。しかし同時に、オペレッタは「オペラ」というジャンルに籍を置く一形態であるという見方もできる。それはどういうことか。

 オペラを歌っている歌手が、自身のレパートリーとしてオペレッタを歌うことは可能である。一部のタイプの役をのぞいて、オペラと同じスタイルで歌うことができるからである。実際ドイツの地方劇場などではオペラハウスの専属歌手がオペラもオペレッタも歌いこなし、またかなりの数のオペレッタで(一般にはマイナー作品であっても)世界的なオペラ歌手が素晴らしい録音を残している。この互換性が、オペレッタがオペラというカテゴリーに含まれると考える根拠である。

 つまり、オペレッタはその本質的な部分ではオペラに対するアンチ・テーゼとして、オペラとは異なる環境から生み出されたジャンルであるが、テクニカルな部分や音楽のスタイルおいては、伝統的なオペラの延長線上に展開していった。その意味では、「オペラ・コミーク」や「オペラ・ブッファ」などと並んで、オペラの一形態である。オペレッタがもつこの二重性が、オペラとの区別を分かりにくくさせている原因のひとつである。

 ヴァーグナーの『ニーベルングの指輪』に登場するローゲは、火の神として神々の一族でありながら、同時に神ではない存在とされている。その中性的な属性ゆえに、ローゲは序夜『ラインの黄金』にしか登場しないにもかかわらず、『指輪』四部作全体で通奏低音のように存在が見え隠れし、いわば狂言回し的役割を担っている。ローゲが世界を渡り歩きあらゆる種族と交流したように、ジャンルの狭間に産み落とされたオペレッタも、幅広い観客に受け入れられる可能性を持っていると信じたい。